沈む大企業にぶら下がって「沈まぬ太陽」はみられない
沈まぬ太陽は、2009年10月に公開された、3時間22分の長尺映画です。
舞台は、日本航空がモデルの「国民航空」。
実際に日航に勤務していた小倉寛太郎氏の半生を、123便墜落事故も交えて描きます。
原作は、週刊新潮で1995~99年に亘って連載された山崎豊子さんの長編小説。
単行本と文庫本は700万部を売り上げ、ベストセラーになりました。
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沈んだ太陽
映画の前に。
本日、日本航空が会社更生法を申請しました。
このニュースは、驚きをもって伝えられました。
負債総額は2兆3221億円、事業会社としては、戦後最大の大型経営破綻です。
女の子の憧れの客室乗務員、アテンションプリーズ。
ミスター・ロンリー、ジェットストリーム。
夢の海外旅行、ジャルパック。
抱えるのは、鶴丸カバン。
まさにナショナル・フラッグ・キャリアとして、国民の希望と豊かさの象徴だった日本航空。
そのイメージが煌びやかであればあるほど、大会社の末路は、何ともいえない寂しさに塗れます。
時々神様は、とても残酷なことをなさいます。
同じく本日、日航をモデルにした沈まぬ太陽が、毎日映画コンクールで日本映画大賞を受賞しました。
重厚長大な日航という組織が、歴史を終え、フィルムの中に生き残ります。
何とも皮肉で、象徴的です。
私は、この事実を、未だ上手く租借できません。
たぶん21世紀も10年たって、漸く昭和的なものが終焉を迎えたということだと思います。
氷河期が到来し、恐竜は死に絶える運命なのかもしれません。
大きな企業体は、これまでの価値観では消費者の要求にも応えられないし、生き残れなのだということを、私は漸く今日気がつきました。
親方日の丸が沈んだ日として、今日は、忘れられない日となりました。
御巣鷹については、書かずにはいられない
映画の本筋に行く前に、御巣鷹山の惨事に関して、個人的な思いを吐露することにします。
事実関係
先ず、事実を列挙します。
1985年8月12日。
羽田発伊丹行きのJL123便(ボーイング 747SR046型機)が墜落しました。
乗客+乗務員あわせて524名の搭乗者のうち、4名を除いた520名が死亡した惨事でした。
原因については、
- 事故の7年前に、同機は尾部接触事故をおこした
- その修理に際し、ボーイング社により行われた後部圧力隔壁の上下接続作業に不具合があった
- 7年間の飛行で、その部分に多数の微小疲労亀裂が発生、次第に伸長した
- この日、隔壁前後の差圧が大きくなった時点で亀裂同士が繋がり、一気に破壊が進んだ
- 後部圧力隔壁に、2~3平方メートルの開口部ができた
- その結果後部に漏れた空気が一気に垂直尾翼を吹っ飛ばした
- 同時に油圧パイプが破損し、油圧による全4系統の操縦機能が完全に失われた
ということが判っています。
個人的な体験
当時大学生だった私は、その日ちょうど、友人の群馬県の実家に遊びに来ていました。
曇り空のおかげで機影は確認できませんでしたが、夕暮れ時、やけに低空に、飛行機のジェット音を聞きました。
こんなところを、飛行機が飛ぶわけないのに。
訝し気に言った友人のコトバは、少し不吉に響きました。
友人の実家へ戻ると、TVでは「長野県に飛行機が墜落した模様です」と伝えていました。
その後、初報は誤りで実際の墜落現場は「群馬県上野村」と訂正されました。
友人と思わず、顔を見合わせました。直ぐ近くで遊んでいたからです。
2日後東京に戻り、何気なくとった電話の受話器から聞こえてきたのは、信じられない言葉だった。
あのね、JL123便にTYが乗ってたんだ。
TYは大学の同級生で、たった一人友達になった奴でした。
一方大阪出身者のTYにとっては、東京の大学で初めて作った友人が、私でした。
TYとは、勉強のハナシも勿論しましたが、音楽や芸術のハナシをよくしました。
四六時中いっしょという訳ではなかったけれど、何だかやけに感性が共鳴する友でした。
特に音楽のハナシは、しょっちゅうしていました。
彼に教えてもらったミュージシャンは、いまだに私の愛聴盤です。
ビンボー学生だった我々は、順番にレコードを買い合って交換し、このマイナーなミュージシャンのハナシでよく盛り上がりました。
音楽がお互いのの距離を縮め、仲を繋ぎとめる絆でした。
25年前に聞いたジェットの轟音は、いまだにハッキリと記憶しています。
あれは、TYの最後の別れの挨拶だったんだ。そう思います。
今、音楽が私の生活の一部になっているのは、あの時以来、上を向いて歌い続ける決心をしたからかもしれません。
涙をこぼさないように。
安全啓発センター
実は3年ほど前、日本航空に勤めている仲間のアレンジで、安全啓発センターを見学する機会を得ました。
ここは、御巣鷹山の惨事の教訓を風化させないことを目的に作られた、事故の記録展示室です。
2006年に一般開放されました。
まるで千切った紙のような、亀裂だらけの後部圧力隔壁。
黒焦げの座席。
バラバラに回収され、所々歯抜けになっている垂直尾翼。。。
これらを目の当りにするだけでも十分衝撃的なのですが、亡くなった乗客の方の手記などを見ると、もう、絶句です。
というより、正視することすら、辛くてできません。
最後は、もう何が何だか、気分が悪くなるほど気持ちが揺さ振られました。
いつしか心の中で、TYに手を合わせていました。
ごめんな。もっと早くこの記念館に来るべきだったな。
という訳で、御巣鷹山関連の映画などは、まだまだ冷静には鑑賞できません。
クライマーズ・ハイなんかもよく出来た映画だと思いますが、どうも感情移入できませんね。
人間「小倉寛太郎」の魅力が書かせた「沈まぬ太陽」
さて、前置きが長くなりました。
ようやく本編です(笑)。
3編からなる重厚なストーリー
「沈まぬ太陽」の主人公は、ナショナル・フラッグ・キャリア国民航空の恩地元(おんちはじめ)。
日本航空の実在の社員、小倉寛太郎氏がモデルです。
山崎豊子さんの原作は、アフリカ篇、御巣鷹山篇、会長室篇の計5巻から成る、重厚な物語です。
アフリカ篇
「アフリカ篇」では、労働組合委員長として経営陣と対立し、左遷されてしまった恩知を描きます。
ストライキ権をちらつかせて首相フライトを人質に取るような強硬策が経営側の逆鱗に触れ、報復人事を喰らったのでした。
カラチ、テヘラン、ナイロビの「海外たらいまわし赴任生活」の苦行が、これでもかと描かれます。
母親の死に目にも会えず、最後には心折れて、精神に異常をきたします。
御巣鷹山篇
「御巣鷹山篇」では、10年の左遷に耐えて日本に帰国した、その後の恩地を描きます。
経営陣はその後も10年間、東京本社での閑職に恩知を追いやっていました。
そんな中、御巣鷹山で墜落事故が発生し、恩地は救援隊・遺族係へ回されます。
ちなみに、小倉寛太郎氏が事故遺族係に就いた事実はないので、ここでの恩知の役割は、語り部だったんだろうと思います。つまり、国民航空の事故処理の非道な実態(これは事実)を実直な恩知の目から告発する、という構図だったのでしょう。
会長室篇
「会長室篇」では、会長室の部長に抜擢された後の恩知を描きます。
御巣鷹山事故から4ヶ月後、利根川総理(モデルは中曽根康弘氏)から国民航空の再建を託され、関西の紡績会社の会長である国見正之(モデルは伊藤淳二氏)が国民航空の会長に就きます。
国民航空の再建には、乱立する複数の労働組合の一本化が不可欠と考えた国見会長は、元組合委員長の恩知を直属部下として迎え入れ、国民航空の腐敗を暴いていきます。
しかし竹丸副総理(モデルは金丸信氏)の献金の鉱脈を探り当ててしまったことから、利根川総理に梯子を外され、国見会長は志半ばにして更迭されます。
恩知も会長室部長を辞めることになり、その後はアフリカ勤務となりますが、アフリカの生活は、会社内の人間関係に嫌気がさしていた彼の心の癒しとなりました。
何故「沈まぬ太陽」は人々の心を打つのか
さて、山崎豊子さんがこの壮大な物語で描きたかったことは、いったい何なのでしょう。
日本航空の安全軽視を告発するということで取り上げられているものの、御巣鷹山事故は、この物語のメインイシューではなかったのではないでしょうか。
無論、ナショナル・フラッグ・キャリアの闇を暴くにあたり、未曽有の航空機事故を起こした「事実」は急けて通れず、描くには描いたのでしょうが、力点はそこではなかったでしょう。
現に、上述のとおり、実在のモデル小倉寛太郎氏が御巣鷹山事故遺族係に就いた事実はありません。
計5巻から成る3編のうち、「御巣鷹山篇」は1巻しか充てていません。
ともに2巻を充てている「アフリカ篇」「会長室篇」は、1,000時間以上に亘って小倉寛太郎氏に取材し、執筆したと伝えられています。
映画としても、御巣鷹の描写はいまひとつ力が入っていなかったように感じました
(その点で言えば、前出のクライマーズ・ハイの異様なリアリティに、遠く敵いません)。
私は、大企業の内部論理に浸ってこの世の春を謳歌している群像と、アフリカの大地で見る太陽に悠久を感じる個人の対比、それこそを山崎豊子さんが「沈まぬ太陽」と言ったのだ、と思います。
つまり、これは結構端的で、どこにでもある人生というか、組織の中で生きる個人の物語ではないか、ということです。
恩知を会長室に抜擢した国見会長が、最後には政治で自分が更迭される「入れ子構造」も、これまたどこにでもあるハナシです。
そう見てくると、俄然輝を放っている登場人物に、気がつきます。
それが三浦友和演じる、行天四郎(ぎょうてんしろう)というキャラクターです。
完璧なヒール、行天四郎
行天は、恩知と同窓で、しかも同期入社。
かつて労組においては副委員長を務め、委員長である恩地を支える盟友だった男ですが、堂本労務担当役員に懐柔され、経営側に転向します。
僻地へ左遷させられた恩地とは対照的に、アメリカの支店で栄転を重ね、最終的には常務にまで上り詰めます。
この行天という男には、特定のモデルはいないようなのです。
それだけに、純度の高い上昇志向、目的のために手段を選ばない冷徹さ、機を見る狡猾さなどすべてにおいて、完璧なヒールの役回りを纏っています。
劇中も、まあ腹黒い所業のオンパレード!
これぐらいやってくれると、清々しいぐらいです。
- そもそも「首相フライトを人質に取る強硬策」を恩知に入れ知恵したのは行天
- マスコミの情報操作
- 運輸省課長への工作
- 御用組合への支援
- 御巣鷹山事故遺族会の分断工作
- 株主優待券を使った裏金作り
- 客室乗務員である愛人を使った恩知の行動監視
こういうモンスターをキャラとして確立したことが、この物語にリアリティと普遍的なテーマを与え、その結果、「沈まぬ太陽」は、皆が納得する感動作となったような気がします。
しかも最後は、東京地検特捜部に逮捕され、視聴者にカタルシスをもたらしてくれるというオチまでついてます。
まあ、何と完璧なんでしょう!
権力志向のカタマリで、会社のためと言いながら結局は自分の出世にしか興味のない行天四郎は、どの組織にもいるのではないでしょうか。
実直で、何事にも筋を通す、会社の改革のために奔走する恩知とは正反対の人間を産み出したのが、この物語の勝利だと思います。
小倉寛太郎氏のコトバにこそ、重さがある
モデルである小倉寛太郎氏は、
組合分裂工作、不当配転、昇格差別、いじめなどは、私および私の仲間たちが実際に体験させられた事実だ
と語っています。
アフリカ篇での、執拗ないじめ人事が、リアリティをもって迫ってくるのは、これが事実だということが大きいように思います。
小倉寛太郎氏は、学生時代、東大の第一回駒場祭の委員長を務めました。
その縁で招かれた1999年の駒場祭の講演で、学生に向け、なかなかいいことを語っています。
若い諸君に申し上げたい。
世の中にいろんな肩書きがありますね。
何とか会社の取り締まり課長だとか、総理大臣とか。
そういう団体の肩書きは、自分の本来のものだと思わない。
結婚式の時の借衣装だと思った方がいい。
その時は着ているけど、時期がきたら脱いで返すんです。
それが解らないのがね、しつこく天下りするんです。
くれぐれも仮衣装を自分のものだと思わないこと、そして仮衣装を脱いでも、着る自前の衣装をお持ちになることを、今からこころがけるよう申し上げたい。それから体験から学んだこと。
権力者の言うことを鵜呑みにするな。
会社に入ったら愛社心を説く先輩がいますよ。
たいていの場合に愛社心を説くものほど愛社心がない(笑)。
戦争中でもそう。
今から思うと、愛国心を熱心に説くものほど、その人の愛国心がない馬脚があらわれている。
五味川順平さんの『戦争と人間』の中で「人間は、一見、もっともらしいことをいうやつをすぐ信じちゃダメだよ」という一節があります。
要するに、偉そうに愛社心とか愛国心とかいうのには、眉に唾をつけた方がいいということです。
何だか、肩書きコンプレックスから開放されたと思った途端に信頼を裏切られた昨今の自分*を、見透かしているかのような慧眼です。
映画としては賛否あるようですし、日本航空の体質を暴くと言う点では甘さもあるように思いますが、山崎豊子さんが小倉寛太郎という人間の魅力にとり憑かれて書き上げたことだけは、確かだと思います。
【注】*
私も、2007~2009の2年間、あからさまな左遷人事を喰らいました。
まあ、ナイロビほど遠くはないのですが。