根拠のない自信は、あなたの自己肯定感を守るオマジナイ

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オレは最強だ

あなたは、生まれたばかりの子供の頃、失敗を恐れてチャレンジしなかったでしょうか?
そんなことはありませんよね。
それがいつからか、挑戦すらしなくなってしまいます。

大人になるまでに、何の呪文をかけられてしまったのでしょうか?

 

下手な考え休むに劣る

「経営の神様」の異名をとる松下幸之助さんは、採用試験で

君は運がいいか?

と訊いたそうです。
その理由は、

自分は運が強いんだと確信していれば、どんなことも受け入れて立ち向かう勇気と力が生まれてくる。
人から見ると決して運がいいとは思えない状態であっても、自分は運がいいと思える前向きな考えができる人がふさわしい。

なるほど。

確率論のような「根拠」を超えた事象が、時には起こります。
「どうやっても説明のつかないこと」を目の前にしたとき、過度に「自分がXXだったから起きた」と考えるのはナンセンスだ、と松下翁は説いているような気がしてなりません。

私は、

下手な考え休むに似たり

ではなく、

下手な考え休むに劣る

と思うのです。

 

イチローも本田圭佑も、自信満々

以下に引用するのは、小学校6年生のイチロー少年の作文「夢」です。

ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。

そのためには、中学、高校と全国大会に出て、活躍しなければなりません。
活躍できるようになるには、練習が必要です。
ぼくはその練習にはじしんがあります。

ぼくは3歳の時から練習を始めています。
3歳から7歳までは半年位やっていましたが、3年生の時から今までは、365日中、360日ははげしい練習をやっています。
だから、一週間中で友達と遊べる時間は、5時間~6時間の間です。
そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。

そして、中学、高校でも活躍して高校を卒業してからプロに入団するつもりです。
そしてその球団は、中日ドラゴンズか西武ライオンズが夢です。
ドラフト入団で、けいやく金は1億円以上が目標です。

ぼくがじしんがあるのは、投手と打げきです。
去年の夏、ぼくたちは全国大会に行きました。
そして、ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会No.1投手とかくしんできるほどです。
打げきでは、県大会4試合のうちに、ホームランを3本打ちました。
そして、全体を通した打りつは、5割8分3りんでした。

このように、自分でもなっとくのいくせいせきでした。
そして、ぼくたちは、1年間まけ知らずで野球ができました。
だから、このちょうしでこれからもがんばります。

そして、僕が一流の選手なって試合に出れるようになったら、 お世話になった人に、招待券をくばって、おうえんしてもらうのも夢の一つです。
とにかく、一番大きな夢は、プロ野球の選手になることです。

 

企業研修や自己啓発セミナーなどでも紹介されているので、あなたもご存知かもしれませんね。

栴檀は双葉より芳し。
おそるべし、イチロー少年。

セミナーでは、特に、

  • 目標に向かって何が必要かを理解し
  • それを確実に実行すること

の重要性を説いていますが、私が重視したいのは、なぜ明確な目標を持つに至ったか?という点です。

同様に小学校の卒業文集で「将来の夢」を語った本田圭佑少年の文章も、読んでみましょう。

ぼくは大人になったら 世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。

世界一になるには 世界一練習しないとダメだ。
だから 今ぼくはガンバっている。
今はヘタだけれどガンバって 必ず世界一になる。

そして 世界一になったら 大金持ちになって親孝行する。

Wカップで有名になって ぼくは外国から呼ばれて ヨーロッパのセリエAに入団します。
そして レギュラーになって 10番で活躍します。
一年間の給料は40億円はほしいです。
プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り 世界中の人がこの僕が作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。

一方 世界中のみんなが注目し 世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。
セリエAで活躍しているぼくは 日本に帰り ミーティングをし 10番をもらってチームの看板です。
ブラジルと決勝戦をし 2対1でブラジルを破りたいです。
この得点も兄と力を合わせ 世界の競ごうをうまくかわし いいパスをだし合って得点を入れることがぼくの夢です。

 

本田少年が目標を持つにあたって、「明確な根拠」を持っていたかと言えば、そうではないでしょう。

後に、

オレは自分が弱い人間だと知っているから、逃げ道を遮断しようとした

 

と語る彼は、自分に重圧をかけるためにビッグマウスを貫き、言ってしまった目標にどうやって辿り着くか後から考えるのですね。

つまり、根拠があって自信につながる「積み上げの発想」ではなくて、夢からの「逆算の発想」です。

 

根拠のない自信は、自己肯定感のお守り

私は、自己肯定感の極めて低い子どもでした。

私の父親は、テストでいい点を獲らなければ、クラスでリレーの選手にならなければ、決して褒めてくれませんでした。
いや正確には、ほとんど褒められた記憶はありません。
より高得点の子どもと、より速く走る子どもと比較され、最後には「もっと頑張れ」としか言われませんでした。

ある時、何かの缶蹴りだったかケイドロだったか、社宅の中庭で遊んでいた時のことです。
父親が私を呼ぶので、なんだ今日は夕飯が早いのかと思い、ごめん親が呼ぶのでと言って、そのゲームを抜けたことがありました。
家に入って理由を訊くと、

お前ずっと鬼ばかりじゃないか。
(だから俺が呼んだんだ)

と言うのです。

私は唖然として、そして、そういうズルで鬼を抜けたことを、一人恥じました。

こんな鬼親から、自己肯定感の高い子どもが育つはずがありません。

まあ、小4の3学期から塾に通わせてくれ、結果的に中高一貫の私立校に入学し、最終的には大学まで卒業させてもらった恩は、勿論感じていますが、それと「自己肯定感」の有無には、何の関係もありません。

そして、自己肯定感の低い状態でサラリーマンになったおかげで、評価の高い他人に嫉妬し、自分が評価されないことを自分の能力低さと直結しているように感じ、自分を卑下してばかりいました。

起業に失敗したこともそれなりにショックではありましたが、ダメ出しを喰らうにしても、上司ではなくお客さんに喰らう方が、ずっと納得感はありました。

私は失敗したことがない。
ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

そう言ったのはエジソンですが、まあ、そんなもんです。

また、家庭教師業の中で、目の前で子供が変わっていく様を目の当たりにし、相当自信を回復することになりました。

だから、声を大にして言いたいのです。

根拠のない自信、上等だと。

 

「根拠のない自信」の大切さ

「根拠のある自信」は、根拠となる事実がなくなれば、消えます。

例え小学校で一番足が速くても、中学校で、あるいは高校で、より速い選手を目の当たりにすると、直ぐに崩壊するのが、「根拠に立脚した自信」です。

一方、根拠のない自信は、外部から不可侵の、予感や信念のようなものです。

根拠のない「楽観性」や「自信」。
これらは、子どもが大人になったとき、うつや自殺からも守ってくれる、とても大切なものです。

そればかりではなく、人生の幸福度と一番相関の高い「自己肯定感」を、大きく育ててくれます。

どうすればいいかですって?

前提をなくせばいいのです。
テストでいい点とったから、徒競走で1等をとったから、褒めるのではないのです。

あなたが居てくれて嬉しい、あなたの存在がそれ自体価値があって、何にも代えがたい。
根拠なく褒めまくるのです。

そういう気持ちで、あなたの子どもをそのまま受け入れてください。

ある意味で簡単だけれど、実は根気と勇気のいる向き合い方ですね。
だから、自分が自己肯定感の低い状態だと、毒親の連鎖は続くのです。

もしあなたが、私のように自己肯定感の乏しい毒親に育てられたなら、負の連鎖を断ち切ることこそ人生最大の使命だと思って、全力で、お子さんを根拠なく褒めまくってください。

【写真】
パラ・テニスの第一人者国枝慎吾さんのラケットには、「オレは最強だ!」との文字が貼ってあります。
この方ですら「最強」の自信はない、それを奮い立たせるために言葉に書いて、それを試合中に見る、ということなのでしょう。

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