ものすごく大変だけど、圧倒的にワクワクする時代の到来
目次
人生100年時代
私事で恐縮ですが、昨年80歳を迎えた私の両親には、お迎えの気配が全くありません。
父親は前立腺がん、母親は肺がんを患った時期もありましたが、まぁどうしてそんなに元気なの? ってぐらい、ピンピンしています。
話題のベストセラーライフ・シフトでリンダ・グラットンさんも主張しているとおり、人生100年時代はおそらく事実なのだろうと、実感をもって納得できます。
かくいう私も現在50代前半ですが、まだまだ老け込んだり引退できるとは、つゆとも思っていません。
人生はこれから「まだまだ続くんだろうな」と思っています。
あ、誤解のないように言っておきますが、何も私は長生きしたいんじゃありません。
むしろ、不徳太く短く生きたいとさえ思っているのですが、どうしたって生きてしまう、というか生かされてしまうというか。
医療その他の発達で、今後20年程で、あらかたの癌は克服されていると本気で思いますし、攻殻機動隊の世界で描かれていたように、今後義体化(サイボーグ化)が急速に進むはずです。
40代半ばにレーシックの手術を受け、自分の角膜の焦げる臭いを嗅いだ経験から、それこそ根拠はないけれども確信をもって断言します(笑)
そうなると、死にたくても死ねないじゃないですか。
人生100年時代。
それを前提に、人生の設計図を描き直す必要があるんじゃないかと思います。
2毛作モデル
少し以前に、ほぼ日とAERAの「ゼロになる40代」から「何でもできる50歳」へという対談を読んだのですが、その内容がものすごく腑に落ちました。
ちなみに対談相手の出口さんは、座右の銘が「悔いなし貯金なし」という素敵なおじさんで、すごく前向きな方です。
自分の足で歩きはじめるのが20歳
人生80年とすると、50歳が中間点
この対談はもう2年近く前なので、今や「人生100年時代」と皆言い始めたけど、当時は慧眼だったと思うのです。
だから上記を、私はこう読み換えています。
- 働きはじめるのが20~25歳
- 人生100年、80歳で隠居とすると、50歳が中間点
ところで、これまで大半のサラリーマン、特に団塊までの大多数の企業人は、以下のようなモデルを生きていたと思うのです。
- 学び:20年
- サラリーマン:(できればひとつの大企業にしがみついて)40年
- 引退後の余生:20年
しかしこの旧モデルは、人生の伸長によって、崩壊しています。
あるいは、終身雇用の終焉の頃に既に制度疲労を起こしていたのを、なぁなぁで先延ばしにしてきただけなのかもしれません。
何れにせよ、この旧モデルを仮に「1毛作モデル」とするなら、今後は「2毛作モデル」とでも言うべき生き方を実践しないと、食べて行けもしない(おそらく年金が貰えるのは70歳ぐらいになっちゃう)し、自分の働き甲斐をコントロールして働き続けることもできない、ということになります。
- 学び:20年
- 前半の仕事:サラリーマン30年
- 後半の仕事:30年
- 引退後の余生:20年
つまり図示すると、こうなります。
2毛作モデルの、「第2新卒」とも言うべき準備を始めよう。
こう考え、2年前に早期退職に手を挙げました。
実際に1年前には退職し、退路を断って先に進むことにしたのです。
人生の後半部分で何をするか
さて会社を辞めたはいいが、問題なのは後半部分の「お題」、つまり、何をどのようにするか、ということです。
ここへ来て、前半でサラリーマン稼業に邁進してきた私のような無能な人間は、ハタ! と困るわけです。
だって、後半の仕事もサラリーマンであっても一向に構わないとは思いますが、80歳まで雇ってくれる会社がそうそうあるとは思えません。
前半リーマン人生が真っ当ではなかった私を、役員として受け入れる企業も皆無です。ええそんなことぐらい、痛いほど解っていますとも。
ということで、自分の働き甲斐をコントロールして働き続けるためには、次の何れかの選択が現実的だというか、それしかないと考えました。
- フリーランス(士業)
- 自分で起業する
という訳で、それぞれを考えてみました。
士業の道
サラリーマン時代、30年の勤務で13もの異なる業種を経験した私には、専門性はありません。
なにしろ「非定型のマルチタスクが可能な多能工」を売りにしていたのですから、無理もありません。
例えば、経理、投資計画、保全企画、法律、人事・採用、知財管理、資材調達、国際プロジェクトのプロマネ、システム開発のプロマネ、マーケッター、スタートアップのメンターなど、どれも経験しましたし、そこそこのレベルでこなせる程度にはなりましたが、これらの「プロ」としてフリーランスで仕事が取れるまでの尖がったスキルがあるかと言えば、どれも全く自信がありません。
要は、まあ立派なジェネラリストになってしまった、ということです。
社会人になってからのスキルで独り立ちするのは、相当難しいと結論付けました。
世間のニーズに少しでもフィットしそうな僅かな望みとしては、学生時代に相当入れ込んだ家庭教師や塾講師なら、少しのブラッシュアップで通用するかも、とは思いました。
そういう状態でした。
起業への道
片や、起業の道もあるとは思っていました。
誤解のないように明記しますが、30年間大企業のぬるま湯に浸かっていた腑抜けが、いきなり起業に成功する確率など、限りなくゼロに近いわけです。
ということで、起業を目指しながらも一旦は就職する形態が望ましいな、と思っていたところに、べンチャーの雇われ社長のポストを打診されました。
あるエージェントからお声がかかったのです。
これは渡りに舟でした。
50歳を超えての就職活動は、当然ながら、えらく難航していました。
どれぐらい厳しかったかと言うと、半年間で面接をしてくれたのは、たったの7社、最終選考まで残ったのは、3社だけでした。
登録したサイトは8社、声をかけたエージェントは19人、履歴書を送ったのは440社。企業の立場からすれば、いけないこととはいえ年齢欄見ただけで書類選考で落とすことは解っていましたが、これほどまでとは、正直驚きました。
いずれにせよ、捨てる神あれば拾う神あり。
イスラエルの会社が国際特許を押さえたビジネスモデルを日本でビジネス展開する「フランチャイジー」の、プレイングマネージャのポストで、スカウトされたのでした。
給料は安いものの、大企業で溜まった垢を落とすためにも、もってこいの職でした。
ということで、腰掛のつもりではありますが、当面お世話になることにしたのでした。
果たして、社長とは名ばかりの、1から10まで何でも雑用係の毎日が始まりました。
展示会に出展したり、テレアポ突撃したり、DM発送したり、営業面ではイヤというほど辛酸をなめました。
ビジネスモデル的にはB2B2Cなので、法人営業の傍ら、消費者向けの宣伝なども重要で、メディアへの露出やらSNSの活用やらアプリのプロモーションやら、考えられることは何でもやりました。
これまでの「1のモノを100にスケールさせる」仕事とは全く別の、「0から1をどうにか立ち上げる」死に物狂いの仕事でした。
大企業の看板を背負っては絶対に得られない貴重な体験の連続で、今から考えると、何にも代えがたい素晴らしい経験でした。
ええ。
気がつかれましたね。
過去形で書いています。
という訳で、ベンチャーは、設立から僅か2年(私が雇われてから僅か1年)で、業務を畳むということになりました。
まあ、給料いただきながら貴重な経験をさせてもらったので、文句は全くないのですが、起業への準備を全く手掛けていない状態で、いきなり外海に放り出された格好になりました。
まあでも、いずれ手掛けるつもりだったのだから、ここは重い腰を上げ、起業へまっしぐら進もうではないか。と考えたのです。
飛び降りてみれば高さ1m
再び、出口さんのコトバを引用します。
50歳になると「リスクはなくなる」と思うんです。
起業とかっていうと「リスクを取れ」だとか、「清水の舞台から飛び降りる気持ちで」みたいに言われますけど、50歳になって清水の舞台から下をのぞいたら「なんや、1メートルしかないやないか」って。
そしたら、飛び降りることができますよね。
自分の得手不得手は、ある程度わかってるから、それを踏まえてこれくらいのゲームならやってみようかなとか、選び取ることができるんです。
出口さんおっしゃるように、折り返し地点ではリスクはなくなって、計算できるコストが目の前にあるだけだから、身の丈に応じたチャレンジをすればいいのです。
これを自分に当てはめて考えると、子供は独立してるし、離婚しちゃったし、借金は返しちゃったので、そういう意味でもリスクはない、という状態です。
気楽なものです。
まあでも、起業の準備を半年ぐらいかけてやりつつ、アルバイトで士業も始めるつもりです。
自分にどれほどの教育関係の市場価値があるものなのか確認するとともに、あわよくば時間効率のいいアルバイトをしながら起業の準備をする、ということです。
ただ、士業を取り巻く環境も、年々厳しくなっているのも事実です。
AIの碁や将棋が人間を負かす昨今、高度に知的な業務分野でも、プロフェッショナルサービスが相当部分AIに取って代わられるだろうことは、想像に難くないからです。
ただ、一旦捨ててないと新しいことは始められません。
残りの人生、やり残しがないように、ものすごく大変で圧倒的にワクワクする時代を、めいっぱい楽しもうと思います。