ウェブサイトを利用したDXの実践~ネット黎明期の採用活動
1996年当時、私のいた会社は超人気企業でした。
男/女、文系/理系、どのセグメントにおいても、人気トップ3に入っていました。
1995年の秋に人事部採用担当に配属された私にとって、とんでもない数(毎年数千人規模)の学生を採用するオペレーションを如何に円滑にまわすか? が課題でした。
そうでないと、何日も帰宅できませんでしたから(苦笑)。
この採用webサイト構築によって、後に社長表彰をいただくことになるのですが、ただ、ここで強調しておきたいのは、これが単なる手段のデジタル化にとどまらず、志望者に向けての価値提供につながった、「業務品質の向上施策」だったという事実です。
ということで、いわゆるデジタイゼーション、デジタライゼーションを超えたDX(デジタル・トランスフォーメーション)に他ならなかった案件として、振り返ってみるのも意味があることだろうと思います。
【注】公開:1996年10月、大幅加筆修正:2022年4月
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インターネットアクセス数の変化
1996年の10月、私はアトラクス社*に招かれて、人生で初めて、他社の方々の前でプレゼンをしました。
たしかギャラは出なかったと思いますが(笑)、自分の取り組みを整理し、他社の採用担当者にシェアできて、嬉しかったことを覚えています。
*【注】(株)アトラクス
採用ソリューションを提供する日商岩井(株)の社内ベンチャーとして、1988年に設立。
現在は(株)ヒューマネージ。
そのプレゼン資料は、今みると随分未熟で恥ずかしいのですが、いくつかスライドなどをひもといて解説しましょう。
1995年シーズン(1996年4月採用に向けての活動)では、採用websiteの累計アクセス数は、僅か4,000程度でした。
それが、翌1996年シーズンでは、23.5倍の、94,000程度に膨れ上がります。
日本語版 Windows95 の発売は1995年11月ですから、やはり1996年が、パーソナル市場における「インターネット元年」だったと言えますね。
1996年インターネット採用広報の振り返り
各媒体のポジションを明確に
さて1996年当時のインターネットの世界では、大企業を中心に会社情報総合サイトを自社で作り始めていた時期です。
ですから、ネット上の採用特化サイトへの取り組みは、かなり意欲的でしたし、1995年シーズンに既に立ち上げた私の会社は、先駆的だったと言えます。
現に、採用広報の媒体としては、これだけの種類ありました
(まだまだ、紙媒体もを捨て去ることはできない状況でした)。
- 会社案内(紙の採用パンフレット)
- FAX DM
- パソコン通信(テキスト版)
- パソコン通信(マルチメディア版)
- インターネット採用サイト
方や、各就職情報誌はこぞってネットに進出しており、各社が就職情報ポータルを立ち上げていました。
とにかく訪問者を多く
各就職情報誌のポータル立ち上げの動きを見ても、今後は採用広報の主戦場がネットに移るのは、かなり確からしいことでした。
ならば、できるだけネット上の採用広報にトラフィックを集めることにし、非効率な紙のオペレーションをできるだけ少なくする、という方針というか、KPIが設定されました。
先ず、サイトの開始時期を、大幅に前倒ししました。
1995年シーズンのサイトオープンは95年4月でしたが、翌96年は、95年12月のうちにサイトをオープンしました。
サイトが空いていた期間は5か月から9か月になり(シーズンは実質8月に終了)その結果、累計のアクセス数が23.5倍に跳ね上がったのは、前述のとおりです。
【年度別アクセス数(累計)の伸び】
また、自社媒体で、採用サイトのURLを宣伝しまくりました。
つまり実質、紙やFAXのコンテンツは全てwebに巻き取る勢いでした。
もちろんネットでの特性を活かし、可能な限り多くリンクを張りました。
- 就職情報ポータル
- グループ会社の採用ポータル
- 会社案内サイトやサービスサイトなどの、自社ページ
【リンク元別流入トラフィックの割合】
資料請求者に対するアンケートによる1996年7月末累計ベース
コンテンツの質でリピーターを増やす
リンクを増やすことが量の改善だとしたら、リピーターを増やすことは質の改善だと言えます。
要は、一度訪問したらまた見たくなるように、一度ファンになったらずっとファンで居てもらえるように、コンテンツを順次追加・更新していく、ということです。
1995年12月のスタート時点で100弱だった画面数は次第に増え、最終的に8月には130までになりました。
もちろん紙の時代であっても、会社案内(紙の採用パンフレット)を作った後、各就職情報誌で先輩紹介を展開するなど、メディアミックス的な施策を盛んに試みてきましたが、志望者一人ひとりに有機的に情報をお届けできているかは、測定すらできませんでした。
それがwebの世界では、旧コンテンツとのリンクや、別媒体での同時リンクなど、読者(志望者)の導線を自由に設計することができ、コンテンツが単純な足し算以上に(1+1が2以上に)効果を挙げる、確かな手応えがありました。
実際にトラフィックも測定可能で、PDCAをグルグルまわせるようになり、コンテンツの差し替えや柔軟な方針変更ができるようになりました。
このように、1995年シーズンでは言わば「作りっ放し」に近い状態であった採用サイトも、私が着任して戦略的にコンテンツ配信を設計することにより、「作った仏に魂を入れる」ことができたと自負しています。
1996年に追加したコンテンツは、具体的には以下のとおりです。
- Q&Aの追加・充実
- 資料請求の登録
- ホームページ更新時メール通知
- 会社説明会のエントリー(首都圏)
このうち、最後の会社説明会のエントリー(首都圏)について、少し補足します。
これまでは、往復はがき(!)によって希望日時を申告してもらい、空きがあれば確定番号を記入したはがきを返信し、というサイクルを何日もかけて、しかも業者に外注してやってきました。
もちろん、希望の日時が満席だったら別の日時を指定したり、手戻りも多く発生していました。
ところが、1996年シーズンからは、志望者がweb上で希望日時を入力するとリアルタイムで空きが確認でき、満席だったらその場でリトライでき、確認番号も即時発行できる仕掛けを導入しました。
これは、志望者、弊社ともにメリットをもたらす、大きな改革でした。
今後に向けた採用広報戦略
プレゼンの席で私は、インターネット広報のあり方として、
「採用に特化したサイトを持つこと」が評価されたのは、今年(1996年シーズン)で終わりです。
来年以降は、そのサイトで何を訴求するか独自色を出さないと、志望者に見切られるでしょう。
と大見得きって言ってしまいましたが、これは本心でした。
現に弊社も、1年前は「採用サイトを持つこと」に自己満足して終わっている状態でした。
プロバイダ、コンテンツ製作側のノウハウの蓄積は日進月歩だし、学生はインターネットを本格的に活用してきたので、採用サイトのあり方は、どんどん厳しい目で見られるようになるのは必定でした。
【学生のインターネット利用状況】
首都圏,中部,京阪神の1997年3月卒業予定の男子大学生、7月末時点電話調査、リクルート社調べ
また私は
採用のためにweb上のサイトを使うのは手段であって、目的ではありません。
ターゲットを明確にすることから、戦略的に考えましょう。広くファンを集めるのか、ロイヤリティの高い志望者に絞って語りかけるのか、
宣伝ツールとするのか、他社へ逃がさない囲い込むツールとするのか、
目的によって、つくりは全く変わってきます。
と言って、プレゼンを締めくくりました。
皆さんにプレゼンしながら、私は「即時性」「双方向性」を活かしたネットでの採用広報に、非常に大きな可能性を感じていました。
ネットの黎明期に、採用という外向きの仕事に携わることで、DX的感覚を身につける最初の貴重な体験ができたと思い、今でも感謝しています。